エッセイ
Next Entries »代々木アニメーション学院に見る「専門学校」出て仕事できるのかどうか
土曜日, 12月 9th, 2006たまにはまともなのを書けと実況で半年前に言われたので今頃書いてみる。いい機会なので。
まずビジネスの話。アニメとゲームの専門学校卒は雇えません、ということはない。出身は全然関係ないというのが正直な話。実際の作品を見ればわかるので、「お、こいつはできるな」と思えば仕事を依頼するし、できないと思われる程度のレベルの作品しか持っていないのであれば、そりゃ仕事は与えられない。専門学校卒の場合は大体卒業作品を見ることになるわけですねん。ゲームの場合は複数人で作っている場合が多いので、どのパートを担当したのか話を聞くことになるわけです。その際に自分単独の作品を見せてくれるならグッド。絵の場合は一番自信のある絵から順に10枚ほど、さらに10枚ほど線画とかラフスケッチを見ればある程度わかります。その場でスケッチして作業の様子を見れば一目瞭然。極端に言えば、描く速度が速くて全体の構図と人体構成が破綻してなければ塗りが多少下手でも、デッサン狂ってても合格。というか、塗りまで完璧にこなしている人の方がプロでも少ない。どうしても速度を優先すると注目されにくい塗り部分で手抜きになるので。最近はPCで色は処理できるので、やっぱりスケッチレベルでさらさらと生産できる人が理想的。癌種死のキャラデザの人とかがわかりやすいか。
次、締め切りの話。とにかく下手でも締め切りに間に合えばそれでいい。締め切りを破る人は仕事がどんどん減りますというか、マジで仕事来ない。というか怖くて仕事頼めない。だから絵が多少下手でも仕事がバンバン来ている人は締め切りまでにきっちり仕事する人が多い。あとひとくちに締め切りと言っても3回ぐらいある。挿絵でも表紙でもイラスト関係は大体以下のような感じ。
1.候補提出締め切り
大体要求される数×3程度。1枚描く仕事ならラフスケッチ3枚。3カットなら3カット×候補3つで9カット分。ただしこっちからもうこの構図で、とかこういうシチュエーションで、とかが細かく指定される場合もある。そういうときは候補の枚数は減るが、描き直しやリテイクが頻発する。
2.色つきの締め切り
カラーをのせた場合にどうなるかを見るための締め切り。この段階でポーズとか構図を修正する場合もある。ここで最終的に決定され、ゴーサインが出たら製作開始。
3.最終締め切り
完成された絵を提出してオシマイ。よっぽどひどい質でない限りリテイクはない。リテイクが出る場合よりも、追加でもう一枚とかの方が多い。なので早めに出す方がよい。あと締め切りに間に合わない場合は仕事を頼めなくなるので締め切り厳守。絶対に厳守。いつどのようなハプニングがあるかわからないのでやっぱり早めに仕事を上げてもらうのが吉。
次、お金の話。1カットで5000円から3万5000円が平均的相場。新人で安い場合は3000円で買いたたかれるので気をつけないといけないらしい。エビフライはそんな値段で買ったことはないので知らない。エロカットの場合はさらに安いから気をつけろ。安い場合は一次使用料のみなので版権は描いた側にある。なので、もう一度使ってもらう場合には二次使用料を受け取ることができます。高い場合は版権買い上げになる場合が多く、何度使い回しされても文句言えません。ただし、担当者がとってもやさしいエビフライのような女神の場合は、値段は安いけど印税扱いしてくれる場合もあり。書籍の挿絵で印税とかがはいると結構良かったりする。といっても月に数千円レベルだったりするが、ないよりまし。ただし印税と言っても第2版からというのが普通なので、初版で終わった場合は入ってこない。なお、無断使用された場合はペナルティ料金がもらえる。無断使用されるケースは締め切りまでに許諾が間に合わず、結果的に無断使用になる場合と、担当が無知で二次使用料を払うことを知らない場合などに発生。意図的に無断使用するケースはまずありえない。と思いたい。エビフライはきっちり処理していたのでもしかするといい加減な人だともっとぼろぼろかも。
とりあえずこれぐらいが基礎知識。専門学校でこういう事を一番最初に教えてくれる場合はいい学校、教えてくれない場合はダメな学校です。
以上はすべてフリーで活動する場合であって、実際にどこかのゲーム会社に就職したいとか、そういう場合は話が全然違ってきます。まず専門学校卒とかはやはり関係ない。ただし、高学歴であればあるほど有利に話が進む。特に中に入ってからの扱いが全然違うという話が多数。というのも、クリエイティブな仕事をしていない部署の人間は基本的に高学歴で占められているため。また、学歴と言うよりも基本的な学力がないとつらい場合が多い。文字通り「話にならない」ケースが出てくるため。社内でこういう事をして欲しいという説明を受けた場合にコミュニケーションできるだけのスキルと知識が必要。あとプレゼンテーション能力。誰も自分の味方になってくれない割にはずっと顔をつきあわせるので、自分のやっていることがどういう意図で行われているのかをきっちり説明できないと周囲が納得してくれない。また、意図書や企画書がどの立場でも必要になってくる。絵の場合は、その絵はどのような意図で描かれているのか、対象とする層はどのような層か、類似の他社の絵柄と比べてどのような点で差別化できているのか、などなど。特にCGムービー系は似たものばかりなので説明が絶対に必要になる。逆にこうやって社内でプレゼンに慣れていくことで独立の下地ができあがる。
最後に、こういう話でよく出てくる「努力」「才能」「センス」について。今回は「絵」でいってみよう。
努力でどのレベルまでできるかというのはよく聞かれる質問だが、正直言うと80%のレベルまでは努力。絵の場合の努力というのはデッサンや黄金比などの構図、基本的な色彩構成。つまり東京芸大とかの入試で求められているレベルが「努力」のレベル。だから、芸大の試験に通らないような人は努力が足りません、はっきり言って。そういう意味では専門卒というのは足かせになりこそすれ、足しにはなっていない。ただし美大や芸大でも「デザイン科」以外は専門学校と同レベルと見なされます。それぐらいレベルに差がある。詳細に言うと、その学校で最も難しいレベルの学科卒でないとキャリアにカウントされません。
才能に関してはこれはほとんどの絵描きが「ない」です。唯一絶対の才能は努力する才能。それはたとえば毎日絵を描いてみるとか、スケッチしているとか、そのレベル。それも単純に好きなものを描いているわけではなく、描く度に少しずつ修正していくという意味。先ほど書いた努力が80%というのは、まずそこまで努力して80%のレベルまで到達して、さらにそこから先にどれだけ伸びていくかというのが、「才能」。だから、大抵のいわゆる「うまい」絵描きは才能がないことを自覚しています。なぜなら、ある一定のレベルからもう先に進めなくなってしまうから。ただし、努力が足りないせいで壁にぶつかるということがあるため、未熟で前に進めないというのとは根本的に絶望の度合いが違う。ただし、才能と言っても「特性」があるため、違う方向で描くと伸び始める場合がある。
最後、頻繁に言われるセンス。デザインセンスとか言いますね。あれは努力し続けた結果、意識しなくても脊髄反射で判断できるようになった、という意味。色彩の場合がわかりやすい。色彩構成はただの理論なので、全部覚えれば誰でもできる。で、色のセンスというのはその組み合わせを瞬時に選び取る能力。好みで選ぶのはセンスではない、それはただの主観的判断。センスと主観は全くの別物。「コモンセンス」という言葉の意味するところを考えればわかる。つまり説明するまでもない常識レベルまで到達した努力の結果がセンス。つまり、才能はセンスではない。だからセンスがないという人は単純に努力していないだけ。
結論:さっさと仕事しろ、話はそれからだ
自慰をやめれば人間は幸せになれ、世界は平和になる
月曜日, 10月 9th, 2006Ameba News|マスターベーションすると、バカになり老ける?
エビフライは存在自体が自慰行為なので大ピンチです。
それにしても、なんだこのバカ記事は。
若者の自慰行為は健康な証拠。そう語られることも多いが、20歳の男性で10.1%、女性に至ってはわずか1.3%が行なっているに過ぎず、健康どころかむしろ体に悪影響があると、若年者性教育研究会は発表している。
ばかな!深夜アニメ実況でおまいらの心の中を密かにハッキングしてアンケートしたところ、ほぼ100%の割合だったというのに!
この数字を根拠に同研究会は「自慰行為とは性欲の旺盛な一部の者にだけ見られる特異な性行動と言える(中略)インターネット上のサイトに、あたかも多くの若年者が自慰行為の経験があるかのように記述しているものが見受けられるが、これは完全に誤った情報である」などとしている。
自慰行為というのは自慰が目的なのではなく、それ自体が本番に向けた1000本ノックであるわけです。何かの映画であったよね、初体験時に相手の彼女が「本当に初めてなの?とっても上手だった」と言ったのでそれに答えて曰く、
「ああ、物心付いてから毎日練習してたからね」
エビフライの会社の日常的電話業務
木曜日, 8月 31st, 2006先物取引の会社から電話がかかってきました。社員Aが応対しています。しばらく応対していたようですが、ものの数分で電話は終了。
(ヘルシング風に読んでください)
エビフライ「どこからの電話だ」
社員A「○○株式会社です」
エビフライ「担当者の名前は」
社員A「○○です」
エビフライ「用件は」
社員A「押し売りのどぶ板営業です」
エビフライ「顧客データベースから削除するように念押しは」
社員A「しておきました」
エビフライ「パーフェクトだ、ウォルター」
社員A「感謝の極み」(ズビシッ!)
注:これは実話です、楽しい職場ですね!><
いかにしてマスコミの報道は「マスゴミ」になるのか
土曜日, 4月 8th, 2006実況板の面々の中にはエビフライがそれ系の界隈をうろうろしていたという設定を知っているものもいるだろうが、実際のところなぜ「マスゴミ」ができあがるのかというのを書いたことはあまりなかったのでテレビ、紙媒体、ネットの3種類についてここにまとめておく。
まずはテレビマスゴミ編。
1.忙しい
マスコミというか報道関係は大なり小なりの規模にかかわらず非常に忙しいです。例えば夕方6時のニュースの担当の場合、少なくとも14時から16時までにはその日のトピックや構成を決めないとダメです。また、寸前になってニュースが入ることもよくあるので常にそのことを意識した構成が必要です。こうなると深い考察とか理解とか不可能です。日々のとんでもない分量のニュースから取捨選択するのが関の山。解説とかは日経か朝日かそのあたりの有料データベースでそれっぽいキーワードを放り込んで検索、ヒットした相手に片っ端から電話してコメントをもらって時間があれば取材して終わり。あとは時間までに編集して完了。これを延々と繰り返すわけで。はっきり言ってまともな報道なんてできない。
2.修羅場
こうなると毎日が修羅場になる。編成担当者は気でも狂ってるのかと思うほど怒鳴り続けるし、フロアは常に緊張に満たされ、怒号を聞きながら笑って予行演習するアナウンサーとかもザラ。確実に修羅場の中で精神がいい具合に発酵していきます。常に視聴率という数字との戦いもあるので、もはや何が正しくて何が間違っているのかも分かりません。現場の記者が何か言ってますが何を言っているのかマジで理解できません。理解できないので仕方ないからとりあえず形にしてニュース完成。放送倫理規定やら何やらでわけのわからないものができあがります。
3.裏を取らない
そんなわけなので、報道する内容が真実なのかどうか見極めることはできませんし、検証もできません。結果、知っている人が見たら「なにこれ?ちゃんと取材しろよバカ!」というような報道が完成するわけですね、あははー。
次、雑誌及び新聞記事編。
1.スペースがない
紙媒体は割と考察する余地もあり、時間的にもテレビよりはるかにマシです。ああ、新聞は論外だから気をつけましょう。とにかく、ちゃんと検証する余地もあり、理解もできるのだが、今度はスペースの問題。字数が足りない。全部書くとアホほどの特集記事になってしまう。仕方ないので主要な部分だけを書くと肝心の部分が書けない。肝心の部分だけを書くと理解できない記事になって没になる。だから、考察の足りないいまいちな記事になると言うわけ。
2.没になる
これは編集の問題。テレビによる報道では意外かも知れないが没になると言うことはまずない。まずマンリソースがテレビは圧倒的に少ないので最初にこういう感じのニュースにしようとなったらまず変更がない。だが新聞や雑誌は編集長がいる、デスクがいる。最終的に集まった記事から取捨選択をする人間がいる。そいつらがクズだったら終わりだ。新聞が特にひどい。常に偏向報道が行われているようなものだ。だから若い記者がドンドン辞めていく、あれが真のマスゴミ。
3.倒れる
テレビ報道は厳密なオンエアタイムが存在するので絶対に〆切に間に合わせますが逆に言えばそれさえ過ぎれば割と自由で暇、申請すればちゃんと有休も取れるし給料も最初から悪くない。環境的には整っているので健康管理さえしっかりすれば倒れることはないです。また、絶対的な人的資源の数が足りないので、意外かも知れませんが使いつぶすようなことはしません、どこでも。対して雑誌及び新聞はガンガン倒れます。あらゆる理由で倒れます。今日ダメだったらまた明日で載せればいいから明日には書け、終わったらまたその次のを書け、取材しろ、はやくしろ、ほれほれ…という感じ。コミケの〆切寸前状態が毎日行われているようなものです。だから倒れます。倒れないようにしようと思うと手を抜かざるを得ません。だからクズな記事が量産されるのです、あっはっはー。
ラスト、ネットニュース編。
1.24時間フル稼働
よっぽど厳密に管理されているところを除けば、ネットニュース関連は24時間フル稼働です。労基署が来たらみんな一発アウトです。ネットニュース関連でブログ書いてる奴がいないのは、それだけ忙しいからです。忙しさで行けば既存マスメディアの中でも頂点、狂ってます。日々の仕事以外、何もできません。だからまともな取材できませんし頭も動きません。いつも眠い。
2.スポンサーの圧力
意外かも知れませんがテレビや新聞、雑誌はスポンサーの圧力は皆無です。どんな大手スポンサーが相手でもため口上等、なぜか金を出してもらっているのにプロデューサーの方が偉いなんてのは当たり前の世界です。広告を流してやっている、載せてやっている、これぐらいのレベルです。たま~にそうではないこともありますが、それは希有なケース。それに対してネットニュース関連はスポンサーの圧力が想像を絶します。みんなの想像する陰謀の世界がそのまま行われています。提灯記事とかは当然だし、普通の記事やレビューの顔して金もらってるとか、何かメリットのある約束をしているとかはごく普通。中にはいいことを書けばレビュー用機器をそのままあげますなんてことを大手メーカーでも堂々と言ってくる始末。倫理観とか第3者視点はありません。
3.修正修正、また修正
結果、ネットニュース関連は密かな修正を繰り返されます。テレビの悪いところと紙媒体の悪いところをすべて凝縮した感じで、間違いなく最悪の環境です。偏向しまくり、個人の思想入りまくり、スポンサーの意向反映し放題、まさに無法地帯。すぐに修正できるのであとからどんどん書き直されますし、削除も自由自在。まさにパラダイス!いいやっほぅぅうう!
結論:マスゴミの作ったものの中からそうでないものを見つけ出すのがみんなの役目です
眠い目をこすって意識が朦朧としながら考えてみた
金曜日, 2月 24th, 2006「朦朧」が読めないヤツは、ひゃっぺんしね。
ぢゃなくて、エビフライ的にはここのところ毎晩毎晩早く寝ようとしているのに仕事の将来設計でいろいろと計画を練ってみたりアレコレしてみたりして気がついたらこんな時間になってウェンディギャレットです、略してウギャーって呼んでね♪みたいな「寝ろ」「眠れません」「寝ろ」「眠れません」みたいな悪循環に陥っているのでコレを書き終わったら即座に寝ようと思っているのですが、なぜこんなことを突然書き始めているのかともうしますと、そもそもエビナビは本来お仕事でするための試験サイトとして単純に本当に何も考えずにのんべんだらりまくだらりと更新してきていたわけですが、さっき全ページ(RSS1.0、RSS2.0、ATOM、Referer含む)を再カウントして1ヶ月でどれぐらい来てるかな~、RSSなんて使ってるヤツいるのかな~とか思ってたんですが、なんなんですかおまいらは、全体のアクセスの20%もあるじゃないですかっつーか、すいません、1ヶ月で1万アクセスあるよとか言っていたのは嘘です、EBINAVIは現在1ヶ月で10万アクセスあります、どうなってるんですか、おまいらは何をここに求めているのですか、アヒャ!
ちなみに検索エンジンとしてはYahoo!から来る人の方が若干多かったりする。Googleよりも日本では一般人へのリーチはやっぱりYahoo!の方が普及しているから強いですねん。検索ワードも全然違う…Yahoo!経由は主にGyaO関連。GoogleはW-ZERO3関連。そうか、そういうことなのか、と非常に納得してしまいました。
あと、VMWareとかHPとかノベルとかの発表ですが何か訂正がありましたが大したことじゃないので放置。
イラクで人質になった3バカトリオの1人、今井紀明ブログ大炎上
火曜日, 2月 14th, 2006こういう人間がいるという事実をまずは受け止めるべきではないかと。両極のバカどもの見本市です。
Doblog - 向き合いの中から生まれるもの、それは対話 -
http://www.doblog.com/weblog/myblog/55425/2300036#2300036
「公開した経緯から理由まで」というのを読んでから、匿名で送られてきた「手紙」というものを順に読んでいくとよくわかるわけで。どうして一番最初に「公開した経緯から理由まで」の方を書かなかったのかが理解できなかったのだが、当時最も危険な地域であったイラクに単身乗り込んだことから考えても、計画性のなさ、行動力の強さが今回のブログでも如実に表れてしまったのだろう…。資質としては本当に報道関係の記者には向いているのだが、残念ながらコラムニストや論説委員には絶対になれないタイプですな、うんうん。
で、エビフライ的には今井紀明のことを非難するよりも、それについて書いている各ブログの反応を見ていく方がはるかに面白いと思う。以下、この件について言及している鼻持ちならない他人を批評するのには慣れているが自分のことになるとスルーすることもできずに発狂する可能性のある人々のブログについての考察と瞑想。
木走日記 - 今井紀明氏のブログ炎上についての一考察~「村八分」的な言論封印は健全ではない
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060213/1139830670
上記記事中では今井紀明ブログについて行われているコメント欄での非難の応酬は村八分に近く、今の世の中であってはならないことと書かれているが、だからどうした?という感想しか出てこない脳の表層部以下の脊髄反射的思考パターンでしかない。そもそも村八分ではない。自分で村八分の意味まで引用していながら、その文章を読んでいないのだろうか…?
人生とんぼ返り : 今井紀明氏の手紙公開について
http://naruse.exblog.jp/2677241/
少なくとも、私もここで声を発しているのだ。多くのブロガーと同じように。
我々は『イスラム過激派』ではない。彼と深刻な立場の溝を有しているわけではない。我々が彼と対話するのに、一体何の不都合があるというのか。
そして彼の存在までを侮辱する権利が、いったい誰にあるというのか。
存在を侮辱したくなるぐらいに怒りを感じる人がいるという事実の方が重要でしょう。先ほどの「村八分」という間違った表現を思わず使用してしまっている例からも感じ取られるのは、文章表現でしか己を表現できない人間の圧倒的な弱さそのもの。自称「ブロガー」の感じる恐怖というのは言うまでもなく、これと同じ現象がいつかもしかすると自分にも発生するのではないか?という将来への恐れそのもの。そしてそれと同様の大騒ぎを自分のブログが引き起こすことができないという一種の羨望や嫉妬と根を同じにする感覚でしょう。
極端な話、今井紀明をはじめとする例の3バカトリオは「よくやった」ことは確かなわけで。ネタを提供しまくり、安易な人道行為は逆の結果を引き起こすということを周知徹底させたわけです。思春期特有の「あらゆる行為が偽善に見える」という被害妄想と自意識過剰な面を満足させるだけの事件だった、と。ただし、3バカトリオはバカですが偽善者ではないですな、どう見ても。偽善で戦争状態の土地に行くことはできないわけで。それでいくと、ある意味、ああいったボランティアだの平和活動だの市民運動だのをしている人間の中でも、特に理想的な純粋培養種であると言って差し支えないはず。むしろあれが本来あるべき偽善以外のボランティアの姿でしょう。自分の行動の結果すら考えず、自分の命すら省みず(考えず)、周囲の迷惑も無視して突っ走る…それぐらいの人間でないとああいうのは本来、つとまらないわけです。バカさ加減を非難しても始まらないのは、自分がバカであることを認識できないほどにバカであるから。だから3バカトリオに必要なのはきちんと行動を制御してくれる師匠であり、そういう人物の下についたのであれば、その能力は有効に発揮されたはずだし、これからも発揮してくれるでしょう。救いようがないのは主体的に行動しようとしている点。誰でもいいから、3バカトリオの付近の人、あるいはこういった人種を知っている人は、彼らに彼らのことをよく理解し、制御してくれる人を紹介してあげましょう。文字通り粉骨砕身の働きをしてくれるはずなので悪い話ではないはず。
というようなことを考えた結果、以下のブログの記事が一番よく書けており、本質をぴったりと言いあてていますな。
どん底あるいは青い鳥。 - 人質への誹謗中傷に見る日本人性
http://moon.ap.teacup.com/bluebird/236.html
日本人の隣人叩きは「自分を主語に話すこと」「自分として何かを要求すること」「自分の意見を持つこと」を封じられることと無縁ではない。自我を持たない人間にとって、他人の自我は脅威である。だから「目立つ隣人」「自分であろうとする他人」を、あれほどまでに叩こうとする。
「匿名の中傷を送る弱さ」とは「自分自身であれないことの弱さ」である。その心にはひたすら保身があるばかりで「思いやり」や「愛情」などはかけらもない。
思いやりや愛情まで飛躍するのは失笑ものですが、それ以外は概ね間違っていないでしょう。極めて正しい分析。要するにガイドライン板にある「詭弁のガイドライン」に沿ったことを匿名の誹謗中傷お手紙は寸分間違うことなく実行しているわけで。イラクに突撃した3バカトリオと全く対称に位置しているが同じようにバカな人間が書いた手紙がアレなわけです。つまり、両極のバカの見本を一同に見ることができるという希有な事態になっているのですよ!
インターネットってすばらしいです!><
しっかし本当にこういう人種は手段を問わず「対話」が大好きですな。
松浦晋也のL/D: 今井紀明氏のblogが炎上する
http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2006/02/blog_292a.html
本文中では伝わらなかったという理由でコメント欄で補足するという愚かな例。賢い方法として、本文を書き換えるというWikipediaの体長156cm謎生物hydeよりもさらに姑息な手段を使うことをエビフライは賢者なので推奨しておきますね!><
要するにこういうことです。
ねがすぱ:ジョジョの世界にタモリが入ったらどれだけ強い?
http://blog.livedoor.jp/negasp/archives/50007148.html
●高遠菜穂子・今井紀明・郡山総一郎
スタンド名 『スリー・フール』
三人各人が一度に発動するスタンド。能力『ソルジャー・オブ・イラク』は、自身らが
瀕死の重傷者であると周囲に幻覚を見せるというものである。その効果は一国を
錯乱させるほど。成功すると敵は戦意喪失して逃亡するが、失敗した場合自己責任と
なってしまう。
ちなみにエビフライ的には、3バカトリオもそれにまつわることも、面白い話題を提供して実況を盛り上げてくれるから全面肯定です、わっしょい。
ネットを使用不能にする最強の攻撃「ショベルカー攻撃」と秘密施設
水曜日, 2月 1st, 2006実況廃人の皆さんこんばんわ、そうでない人もこんばんわ。ネットに廃油をまき散らす史上最悪の揚げ物エビフライの楽しい内部情報の世界へようこそ。今夜はおまいらのようなひきこもりorたてこもりor中毒症状になっているインターネットを使用不能にする最強の攻撃「ショベルカー攻撃」と本当に存在する秘密施設について。
既にこの危ないネーミングだけで脳細胞だけやたら発達し、手足などの運動末端機構が劣化した貴公らのことだからなんとなく想像は付いていると思うが、「ショベルカー攻撃」とは単純に地下に敷設されている光ケーブルをショベルカーで掘り起こして切断するというただそれだけの攻撃だ。それ以前にそんなショベルカーごときで掘り返せるような場所にケーブルがあるの?という疑問があるだろうが、実は案外浅い。
ウイルスやワームより怖い地下ケーブルの切断(1)
http://hotwired.goo.ne.jp/news/business/story/20060125104.html
9日(米国時間)の昼過ぎ、アリゾナ州の田舎を走る州間道10号線の近くで、ケーブルテレビの工事業者が全長約800メートルのケーブルを埋めていると、ショベルカーが予期せぬものを引き上げた――事前告知にない光ファイバーケーブルだ。作業にあたっていたJKコミュニケーションズ・アンド・コンストラクション社のプロジェクト責任者、スコット・ヨハンソン氏は「パイプから光ファイバーが出てきた」と振り返る。「われわれはもちろん『やばい、何かに当たったぞ』と声を上げた」
砂漠に埋まっていたこの光ファイバーケーブルが釣り糸のように巻き上げられると同時に、ロッキー山脈の西側で数百万人の携帯電話加入者が利用する米スプリント・ネクステル社の長距離サービスが不安定な状態に陥った。また、同社のネットワークを経由する大陸間のインターネット・トラフィックも速度が極端に遅くなり、同社のサービスで各オフィスのネットワークをつないでいる企業のなかには、通信がまったく遮断されてしまったところもあった。
結局、バックアイという町のはずれを通る未舗装の道のそばに掘られた1つの穴が、3時間半にわたる全米規模の回線障害を引き起こしたわけだ。しかも、この穴はそれほど深かったわけではない。ヨハンソン氏は「すぐにケーブルにぶつかった」と話す。
今回の障害について、専門家たちはコンピューター・ウイルスやウィンドウズの最新のセキュリティーホールばかりに注意が集まっているが、米国にとって必要不可欠なインフラにおける最も脆弱な命脈が、文字どおり足元に埋まっていることを、まざまざと知らしめた教訓だと述べている。
ちなみにこれが衝撃のショベルカー攻撃の瞬間(違う)
http://www.wired.com/news/technology/gallery/1,70040,1.html
こんなこと日本で起きるわけがねーと思っているあまっちょろい人もいるだろうが、実際に日本でも起きかねない。というか、極端な話、相手の住所を突き止めることができるのであれば目の前の電柱に上ってそいつの家に引き込まれている光ケーブルとか電話線をぶったぎれば、そいつらはかつてないパニックに陥るという寸法だ。個人レベルでこんな攻撃を仕掛けるバカは滅多にいないが、企業レベルではどうだろう。オンラインオンリーで業務を行っており、しかもその比重が大きければ大きいほど致命傷になるだろう。かつてカカクコムが自前のサーバーを攻撃されて撃沈して損害が発生してついでに信用も一時的にではあるが落ちてしまったように、同様の攻撃を物理的、それも回線の切断という恐ろしく物理的な方法で実行される可能性があるわけだ。
もしもあなたがそういうライバル企業を破壊したいという何らかの、たとえばビジネス上の敵だとか、自分を不当に解雇した企業への恨みだとかを抱えていて、最大級の打撃を与えたい場合、このケーブルを切断するという方法はそれだけでは目的を達成できない。大抵は一カ所切断されても別経路で迂回する仕組みだからだ。だから、迂回できないラストワンマイルを狙わなくてはいけない。というか、ビルへの引き込みの線を切れば早い。しかしそうなると復旧も早い。大体3時間もあれば業者が駆けつけてとりあえず使えるようにしてしまう。やはり埋められているメインケーブルを複数見つけ出し、同時多発的に切断するのが一番だろう。それでもやはり復旧されてしまうが、それでもかなりの時間は稼ぐことができるはず。
中にはこう考える人もいるだろう、サーバの置いてあるデータセンターに侵入してラックを破壊すれば一撃死だ、と。そんなことをするぐらいならデータセンターにロケットランチャーを撃ち込んだ方が早そうだ。だが残念ながら大手企業はそれぐらいのことは昔から考えているので、実際には重要データは最低でも、自前と外部1、外部2に保管されていたりする。
ものすごーく有名な例だと、銀行と新聞社。銀行のデータやサーバは一体どこにあるのかというと、日本国中の何カ所かに分散していたりする。特に自前で用意しているいわば「最後の砦」は映画やマンガにでも出てきそうなことを本当にしていたりする。そのうちの1カ所に仕事の都合でおじゃましたことがあるが、はっきり言って「ここで映画の撮影しても誰も現実の場所とは思わない」ような雰囲気だ。詳しい住所は書けないが、大阪の中でも昔から地震に強いと言われており、実際に地盤もかなり頑丈で定評のある場所のど真ん中だったりする。しかも表向きはただの銀行などが出資して作った施設付属のイベントホールなのだから手に負えない。地上部分はかなり小さい。もちろんそこは単一の銀行が出資したわけではない。複数の銀行が出資している施設だ。というのも、さすがにここまで大がかりな施設だと単一の銀行では維持コストを捻出するのは割に合わないためだ。ここまで書けば銀行関係者でこういう施設担当の人なら書きすぎだと思うかも知れないが。
ではここから先は一部関係者でもあまり知らない実際の設備の話。まずバカみたいに岩盤まで本当に杭を差し込むことで耐震性を恐ろしいほど上げている。加えて、核戦争で核ミサイルが着弾して直撃することを想定しているので尋常ではないぐらいに地下に作られている。このことでわかるように、この施設は平地に建造されているのではない。肝心のデータセンター本体はこの施設(当然地下)の最深部ちょっと上あたりに存在しており、文字通り「ごうんごうん」とうなりをあげてデータを保存している。ここが最終的なバックアップ先となる。というか、日本国中の6割ぐらいの銀行データはここに集結しているので、ここを攻撃されたら営業ストップどころではなくなるかも知れないが、それはまた別の話。内部構造は普通のデータセンターと変わらないので、見学したことがある人ならなんとなく分かると思う。はっきり言って人間のいるべき場所ではない。通常のデータセンターと違うのは、ここが完全無人と言うことだ。地上の通常施設の方で普段は営業や受付、イベントを取り仕切っている社員が何人か常駐しており、何かあった際には地下に直行して操作することになっている。もちろん、自分たちがどれほど重要なものを操作しているかは知らない。つまり、そういうようなシステムになっていると考えてもらえばいい。銀行業務で一連のルーチンワークとしてどこかにデータを送信していると思うが、そのどこかというのがここだ。具体的には、送信しているはずの場所からさらにここへ送信されている。
この大深度地下空間はとにかく広い、バカみたいに広い。将来的なデータ設備増強を視野に入れて、最低でも100年間は使えるような設計にしてあるという。もちろん例のショベルカー攻撃にも備えており、常軌を逸しているとしか思えないが、バックアップ回線として既存のあらゆる通信方法を駆使して組み合わせてある。ケーブルが切断された場合には、迂回の回線を探すためにまずは電話線を。俗に言うISDN回線ですな。それから携帯電話網を。そしてさらにSFっぽくてステキなことに、衛星経由の通信を試みる。加えて、山一つ越えたところに通信設備が存在し、そちらへ無線での通信及びミリ波によるもっと遠方経由での通信も試みる。要するに「こういう方法で冗長化すれば安心だよね~」というあらゆる方法を採用しているというわけだ。これだけでもどれだけのコストが必要かがよく分かる。もちろん電源部分も自前の発電設備を持っている。さすがに核燃料は無理。ちなみに核攻撃を想定している理由は、この設備が冷戦時代に作られたものだから。いわゆる第3次世界大戦を想定しているわけですね。もっとも、通信関連は戦争を想定していない。災害レベルを想定している。
例の9.11事件以降は対テロリストということにも主眼を置いており、入り口部分は上下左右に極太の鉄柱を差し込んでロックするというかなりイカレた仕様になっている。セコムのセキュリティカタログの業務用で一番高級なタイプのさらに発展版みたいなものだ。一体どういう鍵システムなのかは未知数だが、きっとろくでもないものに違いない。いうまでもないが建築基準法は通過できないような建造物だ。だからといってれーぜー光線(レーザー光線を超える恐るべき光学兵器)
を照射するとかそこまでのものはないのだが。あらゆる陰謀論のほとんどは根も葉もないものだが、実際の必要に迫られて作られたこういう建築物は違法とはいえ、尋常ではないスケールを感じる。国の上層部と結びつくとこういうのが建造可能に日本でもなっているのだから、国家ぐるみで行っているアメリカとか中国が何を作っているのかと思うとガクガクブルブル。だから北朝鮮の扱いが丁寧なんです、よくわかりましたね。
で、新聞社の場合は銀行と違って、ここまで強固な地下施設は建造しておらず、地上施設だが、こちらは相当でかい。見た目は大きな運送用の倉庫みたいな感じで、エビフライが知っているのは地上6Fの高さ、地下3Fまであるという、超巨大な体育館みたいなもの。やたら広い敷地にぽつんとその建物だけがあり、入り口は1カ所しかない。敷地が広い理由はおそらく建坪率の問題だと思う。警備員がウロウロしていると言うこともなく、時々、保存するためのサンプルとなる新聞紙や交換部品を満載した軽トラックが入ってくるぐらい。表向きにはなんとか物流とか、ほにゃららデータとかそれっぽいことが書いてあり、どこそこ新聞というプレートがよく見ると敷地内に埋めてあったりする。一応こちらはちゃんと申請してあるものなので、興味があれば、調べるとどこにあるかは分かるかも知れない。新聞社の場合は本社などが襲撃されたり機能できないような状況になった場合のあくまでもバックアップなので、あんまり銀行ほどの陰謀は感じられないが、実際に目の前で見ると、あまりにも正々堂々としていて逆にビビる。やたらカラフルだし。念のために作ったという程度だが、それでもすごい。
聞いた話ではクレジットカード会社も同様の設備を持っているらしいのですが、見たことないです。どこかの某都市のど真ん中にあるビル一棟丸ごと秘密のデータセンターらしいのですが本当ですかね。VISA社員が知り合いにいますが、漏らすと速攻で首らしいです、当然だ。ちなみに銀行の件を知ったのはその施設を利用する際に知り合った頭取から。新聞社の方はいつも見かけるが何の設備だ?と不審に思って自力で調べました。大きくなる企業はそれなりのものを持っているはずなので、そういう大手企業に勤めている人はちょっと自社のことを調べてみると面白いでしょう。
ではでは、ごきげんやう。
ガイアの夜明け、膨張!クチコミ巨大市場-ウェブ時代のものづくり革命
水曜日, 1月 25th, 2006ガイア実況が久々に3スレ目に突入した記念で、クチコミサイトの裏側を書いてみますね。
まず業者、はっきりいうとSONYみたいな自作自演について。ああいう工作員については、対策を行っているクチコミサイトがほとんどです。というのも、どういうわけか企業の広報でネット方面を受け持つ担当者は掛け値なしのノータリンが多く、
「これは釣りか?業者のふりをした宣伝なのか?」
というような書き込みをするため、全体的に質がそれに引きずられて下がってしまうこと、さらに評価うんぬんよりもそれによって荒れてしまうことの方がクチコミサイトにとっては致命傷。というのも、基本的にクチコミサイトの「よいところ」を企業は採用したがるため、荒れている様子を見ると眉をひそめるわけです。そうなると広告を出稿してくれなかったり、企画を採用してもらえなかったり、せっかくのクチコミを無視されたりするわけです。クチコミサイトは基本的に評判が命なので、工作員とかそういうのは絶対に許さない、というわけです。
以下、関係者が見ると顔が引きつる内情や関係ないことを。
問題はそういうのをどうやって判断して削除しているのか?まず企業からの書き込みをはじく。ゆえにIPアドレスとかホスト名とかのリストを買って所有しているところも多いです。まぁ全自動でできる限界はこのあたりまでで、やはり最後は人の目を使うことになるわけで。そうなると人件費がバカにならないのは言うまでもない。派遣を使えばいいじゃないかと言いたいところだがそれでもまだ高い。交代制で社員が担当するところもあるけれど、それは書き込み数が少ないから可能なわけで。有名どころのクチコミサイトの場合、この書き込み監視要員としていわゆる「ハンディキャップを持った方々の作業所」に依頼することで人海戦術をとりつつもコストを削減すると言うことに成功してます。24時間できますし。さらにそういう人を雇えば助成費も出るし、いい感じで活用しているというわけですねん。もちつもたれつ。
で、おまいらの最大に気になる点はおそらく
「2ちゃんねるってどーなの?見てるの?」
ということだと思われ。結論から言うと、見てます、ほぼ間違いなく。ただし反映されるかどうかは上に立つ経営者や幹部によりけり。どんな意見も最終判断者のところまで届かないと意味ないです。さらに、どのような意見であっても意見は意見として受け止めるところと、あまたのノイズの一つとして一蹴するところの二極化ですね、どうも。あと、ユーザーのふりをして有効な使い方を示すこともハードウェアメーカーだと多いです。いわゆる「神」が中の人そのものだというのはよくある話。これはおまいらもわかっていることだとは思いますが、要するにサポートできる範疇を超えているけれどもある機能を提供したい場合に非常に有効なわけです。なので、そういうのは大目に見てあげてくださいね。エビフライからのお願い。
あと、実際にエビフライが経験した中では、マクドナルドはさすがに一時期の厳しい時代があったので、非常に真摯に意見を聞いてくれてますし、幅広く、それこそ2ちゃんねるであろうがちゃんと意見の一つとして取り入れてますねん。マクドナルドが2ちゃんねる、というかネット自体を見るようになったのは例の赤字に転落した直後。各店舗に担当者を送って、実際に食事をしているユーザーから意見を聞いてそれを反映させようとしたわけです。ちなみにこのアンケートに答えると、ポテトとか飲み物とかがタダでもらえるカードがもらえます。有効期限の書いてない特別なやつです。アンケートは背広来てる担当者がちゃんと名刺を出して行うので、そのあたりのキャッチとかとは違います…。そしてそのアンケートの結果が衝撃的だったわけで。まず担当者にアンケート用紙を突き返して「2ちゃんねるを見ろよ」と答えた人が年齢問わず結構存在したこと。それから、アンケート結果で2ちゃんねるのマクドナルドスレ、それもなぜかバイトスレを書くという大暴挙があったこと。そしてマクドナルドはネットの存在というものに目を向け、自分たちのそれまでの方針が五里霧中状態で何も根拠がなかったことを自覚、市場マーケティング、それも顧客主導のものに方向転換することになったわけです…。ほかに有名な例だと、ハピ粉の亀田製菓とかIBMも有名ですかね。IBMの場合はもともとアンケートとかリサーチとかを細かく行って今の地位まで来た企業なので。というか、成長している企業はどこでも多かれ少なかれ、クチコミを聞いているし、ちゃんと参考にしているという罠。
なので、ネットを使ったクチコミビジネスとかいうのは単にコストが安くなったこと(リサーチだと費用がかかるがクチコミサイトなら基本的に無料でデータ収集できる)、そして母集団が大きくなったことぐらいがメリット。肝心の「質」については保証されていない。中にはmixiみたいなSNSの方が質がいいとか、いやいやブログの方が2ちゃんねるみたいなネガティブデータばかりではないからより参考になるとか、色々言ってますな、各サイトの担当者が…。結局のところ、集めたデータをどう活用するかという手腕にかかってくるので、ビジネスとして見た場合、自浄作用のないクチコミサイトはあてにならないし、かといってリサーチ会社だと母集団の偏りが気になる…という感じ。
そのため、結局何をあてにするかというと、敷居の高い意見。メールよりもFAX、FAXよりも電話やハガキ。あとプレゼント応募の際の意見とかですかね。ああいう方が顕示欲丸出しの人間が集結するクチコミサイトと違って、本当に小さな意見ではあるけれども本質をずばり指摘していたりする割合が高い。結局、ケースバイケースで信頼度を判断するしかなかったりする…。
つーか、顧客よりも先に開発とか現場の人間の意見をまず聞け。作った人間が一番よく長所も短所も知っている。とゆーか、営業と開発の連携ちゃんと取ってくれ、DELLとかSONYとか日立とか。新しいモバイル用ノートパソコンの新型試作モデルを営業が持ってきて、エビフライの使ってるレッツノートを見るなり、
「うわー、これ触ったこと無いんですよ~、持っていいですか~♪」
持ち上げてみて、満面の笑みを浮かべながら、
「わっ!軽っ!すごいです~♪へー♪」
……おまいら、ライバルのノートPCぐらい事前に調べろよ、と。クチコミ気にする前に同業他社の製品についてリサーチしろよ、と。仕方ないので、エビフライが個人的にお持ち帰りして一晩指導を(ry
そこに来るとさすがにレッツノート開発陣はニヤリと笑いながら他企業の全機種について詳細に長所も短所も把握してましたが。言うまでもなくレッツノート自体の長所も短所も。ああ、こういう人間がいるからよいものができるのだなぁ、と実感。難点は市場に出回るまでの時間が短く、十分な検証ができないこと、次々と出していかないとだめなのでくだらんマイナーバージョンアップをせざるをえない、と。
一体何の話だったか分かりません、本当にありがとうございました。
イディオ・サヴァン(=白痴の天才)
土曜日, 12月 24th, 2005おまいらもどうでもいいことならたくさん覚えていたりするわけですか?ニヤニヤ。
X51.ORG : 九千冊の本を暗記する男 ― サヴァン症候群とは
http://x51.org/x/05/12/1952.php
賢者、知識人、或いは天才といった知的な意味を持つこの言葉が、奇妙な症候群の名として、初めて報告されたのは1887年のことである。命名者のJ.ランドン・ダウン博士は、その報告の中で、かの膨大な「ローマ帝国衰亡史(エドワード・ギボン)」を一字一句違わずに諳んじ、更には全く逆から読んで見せる常軌を逸した記憶力を持つ男の話を、驚きと共に記している。そしてダウン博士は、これらの人々 ― 特に子供に多い事を博士は指摘している ― が、ある部分において常人には及びがたい才能を発揮しながら、一方で、共通して何らかの精神的、知的障害を抱えていたことから、こうした特徴を持つ希有な人々を、「イディオ・サヴァン(=白痴の天才)」と呼んだのである。そして現在でも、一般に「サヴァン※」と呼ばれる人々は、自閉症や、発達遅延といった何らかの障害を抱えているにも関わらず、同時にある特定の分野 ― 例えば音楽、芸術、数学 ― において、まるで常人の理解を超えた驚異的才能を示すことで知られている。
要するに驚異的な記憶力や他の能力を持ってはいるがそれが全く活用できないような精神的あるいは知的障害を抱えているわけです。逆に言うと、これは身近にそういう人物がいればすぐにわかるのだけれど、ある一定の範囲を超えた能力を持っている人間はそれと同様に、精神的に偏っている。天才と狂気は紙一重というか表裏一体というわけだ。上記のようなサヴァン症候群についてNASAとかいろいろな機関が興味を持って調べてはいるが、その結論は「使われていないから他のことに使うことができる」というものに集約される。以下、そのことを説明してみようと思う。
まず、人間のそもそも持っている能力値の総合限界が100として、この100をあたかもRPGの各パラメータに配分するかのごとく割り振ることができるとしよう。この感覚はたいていの人間が持っているはずだし、この理屈には根拠がある。時間だ。各自の才能や能力を伸ばすために必ず努力をするという前提があれば、時間が絶対的に必要なのは自明の理。だが費やすことができる時間には制限があるため、すべての能力値がたとえMAXまで伸ばすことができるとしても、必要な時間をそれぞれに最低限必要なだけ配分しなくてはならない。だから自然と「総合限界」というのが発生してしまう。有り体に言えば育成シミュレーションで一番有名なプリンセスメーカーあたりをやってみれば実感できるはず。能力を上げようと思ってそれぞれをまんべんなく上げていくと結局は凡人になる。何かのスペシャリストにするために特化させれば大きな穴ができるが、ある特定のジャンルにはたどり着ける、と。あの種類のゲームにまとわりつく異様なまでの「親近感」シミュレーションはおそらく、あれらの育成にまつわる様々な行為のその根本、時間の配分の仕方がその後の能力を決めるというある種の真理があるためだろう。
サヴァン症候群に話を戻すと、彼らはいわゆる「白痴」だ。白痴というのは何かというと、総合的な判断および体系付けをすることができない状態であり、それが理性・知性・感性の全てに及んでいるような場合のことだ。彼らの場合はそういうそもそも本来であれば日常の生活によって、生活する時間そのものによって配分される総合限界の範疇にある時間を、それ以外のものに使うことができ、さらにそれが根本的な部分、脳内の能力自体にまで及んでいると推察できる。知っての通り、人間社会で生きていくために最低限必要なある種の「作法」やストレス耐性を持つためには色々なことを知って実行し、TPOに応じて使い分けていく必要がある。これはかなり高度な社会適合性の表れであり、これが他の動物と人間とを隔てる絶対的な差となっている。日常のあらゆる平凡な行為の数々は実際にはかなり高度な精神性やその他の能力の発言の上に成り立っており、だからこそ脳もそのような能力を伸ばす方向に発達すると考えられる。
では、サヴァン症候群のような驚異的な記憶力や芸術に関する才能が存在することと普通の人々にはそれが存在しないこと、その結論が「使われていないから他のことに使うことができる」というのは具体的にどのようなことを指しているのかと言えば、まさにこの日常の使い方にあると考えられる。精神的あるいは知的障害を持っている全員がサヴァン症候群になるわけではないし、サヴァン症候群になるための共通の原因が存在するわけでもない。つまり、精神的あるいは知的障害を持っている人の全員がある種の天才ではない。彼らもまた一般人と同じように「何に時間を割いているのか」という差がそれらのことにおいてのみ発現している状態であると考えることができる。記憶力の場合、一般人であれば会得するはずのことを会得しないのでその分だけ空きがあり、余裕がある。だからこそその分を他の能力に回すことができる。脳自体が「空いている」と考えることもできる。本来であれば日常生活を送るために必要な能力として機能する脳の部分をほかのことのために使用しているのだ。これは誰でも理解できる概念だと思う。だがこれは裏を返せば、そうでない人間、つまり一般人、日常生活を問題なく送ることができる人間は「日常生活を問題なく送る」能力のために脳を使っており、だからこそサヴァン症候群のような能力を得ることは、絶対にない。よく言われるような「使われていない脳の部分」というのが存在しないためだ。既に使われている。これが各個人の持つ「総合限界」の正体であると考えられる。問題なく日常を過ごす人間はそれと引き替えに、他の能力が出る芽がそもそもないのだ。
「使われていないから他のことに使うことができる」ということは直感的に理解できるし、ある程度の説得力をも持つ理屈でもあるのだが、かなり残酷な側面を持っていることもまた、容易に理解できると思う。世界中の偉人の伝記を読めばわかるが、歴史に名を残すほどの人間は例外なく一風変わっている。普通の人間は歴史に名を残さない。また、目立つ人間や能力を持つ人間はその能力がずば抜けていればいるほど、他のどこかが欠けている。だからこそ、パーフェクトな人間というものに人間はあこがれるし、パッと見たときに完璧のように見える人間に対して一種の憧れや嫉妬を抱くのだ。そして、そういう完璧に見える人間が別の面ではそうでないことを知って「ほっ」とする。サヴァン症候群の特徴である記憶力にしても、「もしあれだけの記憶力があれば人生が変わっていた」と思い、いいなぁと思ったとしても、それは今の自分にその記憶力がプラスアルファされると考えるからであり、脳の物理的容量に限界があるように、その付加される能力にもやはり限界が物理的、そして時間的にも存在しているのだ。このトレードオフの関係はサヴァン症候群でも存在する。実際のサヴァン症候群の例として有名なナディアという女の子の場合、芸大の試験でも余裕で通るほどの描画能力、芸術、特に美術の才能を持っていたが、特殊学級に入れられて、言葉を学習するとともに、その突出した美術の描画才能は失われていった。サヴァン症候群といえども、やはり総合限界は存在しているのだ。ナディアの場合、日常生活に必要不可欠な言語を会得することで、美術の能力が失われた。何かを得ると言うことが何かを失うことと直結する場合、総合限界、持って生まれた容量というものの限界を超えることができないでいることになる。これに例外は今のところ、ない。
この限界を突破することは今までの理屈で言えば不可能だ。「使われていないから他のことに使うことができる」のだから、既に使われている場合には、何かを捨て去る必要がある。そしてまた、捨て去ったところで必ず得られるとも限らない。最初からそのために使われていない部分を使うことでしか、得られないのだ。これが子どもの頃はすぐにできるようになったのに、成長するにつれて新しい能力を獲得しづらくなることの原因なのだろう。子どもの頃、一体何に時間を費やしたのか、何を成すべきためにどのようなことをしてきたのか?その積み重ねが今の自分を形作っているのだ。だから、今の自分自身はそれまでの自分、特に幼年期の頃のそういう未来への自覚が、大きく左右しているのだと思う。これは、何年先の自分自身を想定して生きているかという差でもある。そんなことを想定して生きている人間など、特に子どもの頃、それも幼ければ幼いほどそんなことは考えないと思われる。だからこそ、親や教師といった他の大人たちが代わりに考え、代わりに道を指し示さなくてはならない、はずなのだが、現実で考えれば、大人というのは単に成長し、「使われていないから他のことに使うことができる」状態ではなくなって使い切った状態に到達しているだけなので、十分なことは何もしてやれない、という場合が多いわけだ。小さい頃からそのジャンルに特定して周囲の人間がしかるべき環境を作れば能力が伸びていくというのは、音楽のジャンルでははっきりと現れている。音楽は素養よりもいかに小さい頃から英才教育を施してきたか?それが才能以前の問題として存在している。小さい頃からいわゆる修行をしなければ、本来持っている才能分の伸びを見せることもない。成長して遅くから始めても同様にのびている人間も確かに存在する。だが、もしもっともっと以前から始めていれば?さらに以前からそういうことに能力を使っていれば、今以上の能力を会得できたはずだ。選択の時というのが存在するのであれば、それは将来のいつかという時点ではなく、既に大部分の人間が通り過ぎた幼いときにあったはずなのだ。
私の場合は、幼稚園に行っている頃には既に上記のようなことを考えていた。早熟な子どもであったことは確かだが、それ以上に、本来持っているはずの能力が自分から欠落していると考えていたのも上記のような考えに至る原因となっている。普通の人間が普通にこなしていることを自分がすることはできないという現実は、そのど真ん中にいる本人にとっては、年齢に関係なく自覚できるものだ。だから私は今も、できない者を責める気にはなれないし、責めるべきではないと考えている。できないものはできないのだ。それをある程度できるようにするために費やす時間や労力とトレードして、それらは本当に会得するに値するのか?というのを考えなくてはならない。
さらに補足するならば、結果が同じでもそれを得るために費やすものは必ずしも各個人で同じではない、ということだ。10分でマスターする人もいれば、10日かかる人もいる。サヴァン症候群のように一瞬で記憶する人間から、一生かかっても記憶できない人間まで、パターンは様々だ。それらは持って生まれた「使われていないから他のことに使うことができる」能力、いわば初期値に左右される。最初から10ある人間とまったくないゼロの人間とが、結論や結果として同じことをしていたとして、さらに途中でも同じように伸びていくとしても、スタート地点が違えばゴールまでの時間には差が出てくる。費やす時間の絶対限界が各個人で分かれるのはこのためだ。これを「才能」という。
才能というのは、単にこの初期値があるかどうか?その差でしかない。決して伸びる幅のことではないと私は考えている。もう伸びなくなるのは、総合限界に達しているためだ。この論で行くと、先ほど述べたような「既に持っている分を捨てる」ことができれば余裕ができ、その分だけ他の能力を伸ばすことができる。おそらくこれは事実だろう。忘れるという現象は常にこの余裕分を確保するための機能だと考えられる。応用力のようなものだ。特化することを阻む代わりに、一時的にではあっても必要な能力を確保するための機能なのだ。体系づけた知識などを維持するためには維持するための能力が必要であり、維持することを放棄すれば忘れることになり、忘れるとその分を他のものに使うことができる、というわけだ。
ここで混同しがちなのが、サヴァン症候群の記憶力は忘れないことによって起きているのではなく、言語を覚えている、あるいは視覚で捉えた情報を覚えているだけ、ということだ。混同しがちだが、能力と記憶とは別のものだ。サヴァン症候群の能力で一番特徴的な記憶力はそれ自体が能力であり、その能力があるから記憶できているだけなのだ。一般人は記憶するだけではなく、さらにそれを体系づける能力も必要になっている。記憶する能力が限定されているため、忘れるという能力によって記憶する部分を適時確保して、記憶の優先度を決めているのだ。忘れると困ること、それは日常生活の作法や習慣、使っている言語そのものであり、それらを忘れると「白痴」になる。だがそれらがないがゆえにサヴァン症候群の人々は余った部分を記憶する能力として、そして記憶する倉庫として使われていない部分を使っているのだ。
では、「使われていないから他のことに使うことができる」というこの残酷な現実を突破する方法はないのか?つまり、後天的にさらにこの「使われていない」部分を作り出すことはできるのか?サヴァン症候群のような記憶力や能力を持つことはできるのか?それは可能なはずだ。それが文明であると思う。持って生まれた能力以外のことを可能にするのが道具であり、文明と呼ばれるものであるはずだ。技術はそれを可能にする。脳の中に全てをとどめることができなくてもメモすればいいし、そうすれば必要なのはただ一つ、必要なときにメモを見る能力だけになる。記憶する部分を外部に任せることができるのだ。人間の高等生物である理由は「使われていないから他のことに使うことができる」という限界を突破している点にある。逆に言えば、「使われていないから他のことに使うことができる」限界を突破しない者は人間らしくない。総合限界をした上で、それ以上のことをしない人間は動物でしかない。人間らしさというのはこの一点に集約される。
今、この「使われていないから他のことに使うことができる」限界を突破する方法において全く違う側面でのアプローチが出現し始めている。私がインターネットに惹かれた理由もそこにある。インターネットというものの存在を知ったとき、これだ、と直感した。上記に書いているようなことを小さい頃から感じていて、実際の体験として知っている者としては、ネットの可能性というのはかくも魅力的に映った。これは限界を超えるためのツールだということがわかった。パソコンとネットは限界を超える道具として今まで人間が作り出してきたあらゆる道具の中で、その極致に達している道具のひとつだ。先ほど書いた「メモ」の超拡大版だ。使いこなすスキルがあれば、あとはどうとでもなる。個人の持つ総合限界を超えることはできないが、仮想的に拡張することはできる。代わりに覚えさせることも、代わりにさせることも可能だ。テクノロジーはそのために存在する。自分の果たせなかったことを果たすため、使ってしまった部分を他のことに使うために、これらのスキルは存在する。
そしてもう一つの注目すべき「使われていないから他のことに使うことができる」限界を突破する方法がある。すなわち、脳自体の拡張、記憶する外部チップの作成だ。脳の機能を補完するため、実際に脳と連携する外部記憶野というものの研究は現実に実行されており、10年以内に臨床試験が開始される予定となっている。
記憶障害を救う、シリコンチップの人工海馬
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20041026301.html
南カリフォルニア大学(USC)神経工学センターの所長を務めるセオドア・W・バーガー教授は、海馬(記憶をつかさどることで知られる脳の部位)の働きを模倣する埋め込み型のシリコンチップ(イメージ)を開発している。成功すれば、この人工海馬が本物の海馬の代わりを務め、記憶障害に苦しむ人々が新しい記憶を蓄積する能力を取り戻せるようになるかもしれない。
人工海馬の登場はもはや、「仮定」の話ではなく「時間」の問題になっている。USCのほか、ケンタッキー大学、ウェイク・フォレスト大学など、複数の研究室における6つの研究チームが、10年近く前から、さまざまな部位の人工神経の開発に共同で取り組んできた。サンディエゴで23日(米国時間)から開催される北米神経科学会の年次総会では、こうした研究の成果が発表される予定だ。
生きたラットではまだ試されていないが、ラットの脳のスライス(薄片)を使った研究では、このチップは95%の精度で機能した。これは、科学界を沸き返らせるに十分な成果だ。
新しい長期記憶を作るというのは、たとえば、初めて会った人の顔を覚えて認識したり、電話番号や見知らぬ場所への道順を覚えたり、といったことだろう。これが成功するかどうかは、海馬が正しく機能するかどうかにかかっている。海馬は長期記憶を蓄積しないが、海馬が短期記憶を再符合化することで、短期記憶を長期記憶として蓄積することが可能になる。
このことについては2005年11月5日放送のNHKスペシャルで特集された中の最後の方に実際に出てきている。これは記憶に関するものだが、記憶以外、すなわち人体自体の拡張も可能になる。
脳とコンピューターを直結するインターフェースが現実に
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20040116301.html
脳とコンピューターを直結、考えるだけで車椅子を操れる新インターフェース
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20030801301.html
視力回復に向けて開発が進む「バイオニック・アイ」
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20030722301.html
こういった技術をさらにネットに関連づけさせるとこういうことになる。
インターネット上で触覚を共有できる『ハプティック技術』
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20030704301.html
インターネットでやりとりできる感覚は触覚だけではない。嗅覚も、さまざまなにおいを発する化学物質の混合物を使う機器によって伝達可能だ。味覚も同様に伝達できそうだということは、人間の味覚受容器が苦味、甘味、酸味、塩味、旨味の5種類を感知するものに分類可能なことを考えれば、予想がつくだろう。
二極化する社会というのは既にアメリカがたどっており、日本も追随している。また、デジタルディバイドはさらにこの二極化の進行と同時に飛躍的に進んでいく。その結果、こういった人体拡張技術も、脳の記憶野を拡大する技術も、手術を受けるための「金」が必要になってくる。金持ちの家に生まれれば、英才教育の延長線上として、こういった拡張手術を生まれながらにして受けることも可能だろう。スタート地点における差異どころか、さらに拡張される部分においてもさらなる差異が生まれる可能性が大きい。
だが、上記の技術が可能になるということはすなわち、「使われていないから他のことに使うことができる」という限界を超えて、使われた部分を使うことなく新しく拡張して使うことで能力を補完していくことができることにつながる。また逆に、まだ総合限界に達していないのに外部拡張によって労せずして能力を得ることにもつながる。そして、ものすごく皮肉なことだが、能力や素質、才能、総合限界を超えていない状態で、総合限界以上の能力を会得すると言うことはまさに、イディオ・サヴァン(=白痴の天才)を生み出す、というわけだ。
ソニーとSo-netが用意した、Aシリーズ促販用ブログ炎上の件について
水曜日, 11月 30th, 2005めざといおまいらなら既に把握していると思うが、ソニーがまたやってくれました。
Walkman A シリーズについての噂をまとめてみる。: 「よいしょブログ」逃走か?
http://gelauftman.seesaa.net/article/9671490.html
Propeller-head ONLINE: ソニーの自作自演力は世界一ィィィ!
http://www.propeller-head.net/archives/000830.html
炎上したソニーの販促ブログのコピー
http://akid.s17.xrea.com/…
さて……今さらソニーのことをなじっても仕方ないので、同様のことを考えている人向けの基本事項の確認。まず、ブログを販促に使う場合はコメント書き放題とかトラックバックし放題というのは絶対に厳禁です。全部、一端受け付けてから表に出してもいいものだけを表示するのがいいでしょう…。というか、コメントなんて販促ブログには不必要。よっぽど自信がある場合だけです。
次に、ブログでの記事の内容。一方的なマンセーに終始するのは危険です。私情や感想をできるだけ交えず、淡々と販促対象についての事実や特徴、魅力的な点のみを提示し続けていくこと、それが肝心です。言うなればテレビCMと同じ。あくまでもおもしろさ優先で。思わずツッコミを入れたくなるようなら合格点。その意味では今回のソニーの販促ブログ、必ずしも失敗ではないわけで。むしろソニーとしては「てへっ♪」とか言いながら開き直って、炎上するコメントやトラックバックも無視し続けて続行すべきでした。なぜなら、話題を作るという意味ではたとえネガティブであっても成功しているわけですから。もしこれが本当に注目に値しない商品の販促ブログであればこんなにたくさん釣れなかったはず。販促対象の商品の未完成具合や洗練されてなさ具合は、新機軸商品の序盤ということなのでむしろ当然。いわば金を取るβ版。それぐらいの気概で、批判や非難は全て受け止めつつ、それらのすべてを次の商品で改善すれば、今回の炎上及び総叩きやバッシングも「良い思い出」として成功事例に変換できたわけで。それができなかったのは、その責任を取る人物の器量の狭さでしょう……事なかれ主義者が責任者だと、こういうことになります。
そして販促ブログを行う上で最大のポイントは、目標を設定すること。極端な話、PVを稼ぐことが出来ればたとえ反応が批判ばかりであっても成功なわけですよ。なんといっても、実際の消費者からダイレクトにフィードバックしてもらうのが第一であり、こういうフィードバックのアンケートなどは今までお金を払ってしていたぐらいなのだから。それに費やすコストが低く抑えられるのであれば願ったりかなったり、それで評判になれば儲けものぐらいの感じです。
わかりやすく書けば、
1.コメントやトラックバックは検閲前提
2.記事内容は事実に基づくこと
3.PVが稼げればソレでよい
これが最低ライン。あと、どうしてこんな販促ブログなんてものが出てくるのかというと、こういう結果が出ているためです。
ブログ、SNS、そして2ちゃんねる、それぞれの利用者数の変化
http://gigazine.net/News/html/lg/000819.htm
掲示板全体をひっくるめると2005年9月の段階では、実利用者数は1462.5万人。
そのうち、2ちゃんねるを使っているのは989.9万人……。
次にブログを見てみると、2005年9月の段階では、実利用者数は2013.5万人。
SNSは189.7万人なので、絶対数から言えばブログの方が圧倒的に利用者数は多いということに。
SNSユーザー数はブログ利用者数の10分の1以下。
そして、2005年Web広告研究会「消費者メディア調査」の結果では、ブログでは主にネガティブではなく、ポジティブな意見が圧倒的に多いという分析結果が出ています。だから、マンセー記事満載の販促ブログを立ち上げて口コミ効果で売れるかも?などという底の浅い発想が出てくるわけで。はっきり言うが、中身が伴わなければ、注目は浴びられないわけで。そこのところを勘違いしすぎましたねん。同じ事を考えている販促担当や広報が身近にいる場合、そいつらの頭をぽんぽんと叩いておきましょう……。