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今月号の「げんしけん」の長文感想
2005/11/27 日曜日 6:44:18 | にゅーす — By ebifly
気がついたらこんな時間ですよ、ヲイ。とりあえず以下はネタバレを数多く含むので今月号をまだ読んでいないor単行本派の人は読むのを避けた方がいいかもしれません。
今回の話は簡単に言うと過去話で、中学3年生当時の荻上(♀)が、げんしけん史上初めて(現時点では)直球で悪意のかたまりみたいな中島(♀)という荻上属するヤヲイ腐女子グループの女王様気取りリーダーによってハメられてしまい、それが強烈なトラウマとなっているという話。荻上の何気ない一言から、荻上が密かに付き合っていた巻田(♂)とその親友との「巻田総受け化計画 準備号」とかいうイラスト本を作ってしまい、しかもそれを巻田に見られる(どう考えても中島一派がわざと巻田に見せたっぽい)という最悪の鬱展開なわけです。
要するに、女の仲良しグループ特有の「抜け駆けは許さない」が極端なまでに現出したケースとして描かれているわけで。荻上は巻田と付き合っていることはヒミツにしていたわけだけれども、めざとい中島はそのことに気づき、抜け駆けした荻上を制裁するため、単純な悪意によって荻上をハメるために、荻上にこれまでにないくらい過激な生モノの創作ヤヲイ小説を読ませることで、創作オタとしての荻上を釣ったわけ。荻上は創作オタなので、いい話があれば思わずそれを描いてしまうという気質であり、なおかつこれまでも散々描写されているように押しに弱い。中島は女王様気質なので押しは強い。しかも割と純朴系の荻上とは全く対照的なのがこの中島(容姿までキッチリ対照に描かれているあたりで無意識にでもそれとなく分かるようになってる)。
さて、そんなこんなでマンガ板のげんしけん本スレは怒濤のペースで進み、もはや収拾がつかない無限ループに陥っているわけですが、荻上の問題点は何かというと、なろうと思ってヲタになったわけじゃないというのを具現化するかのごとく、罪悪感よりも何よりもヤヲイとして描いてしまう、むしろ描きたい、そして描いてしまった(描かないという選択肢もあったのに描いた)という事実。ネタ元の生モノ創作小説の挿絵として描いたのに実際にはハメられていたので、できあがったコピー本はイラストオンリー本だったわけだが、逆に創作小説の中で荻上が「描きたい」と思ったシーンを抜粋して描いているために相当強烈なモノに仕上がったのは言うまでもないだろう…。そしてそれを見た、モデルにされている当の本人である巻田君はオタではないし、荻上のそんな面のことはあまり知らない、と。なので自分をモデルにした総受けコピー本を見て、そのショックで不登校になり、さらに彼の母上が激怒し、なじられまくる荻上。巻田君はそのまま二度と登校することはなくなって転校、そして荻上はホモ上とあだ名を付けられ、それからあと学校では肩身の狭い思いをし続けるという最悪の状況に…(この総受けコピー本の件は教師陣にばれており、校長室に呼び出された)。結局のところ、ハメた中島一派が悪いのだが、それでも描いたのは荻上自身なわけで、荻上のヤオイ大好きという性癖がなければ、あるいはそれを自制できればこんな事にはならなかった、と。そして荻上はマジメなので、自分に全ての根源的な責任があるということでそれから今に至るまで延々と自分を責め続けたわけですね~。
今回の過去話によって、今までのあらゆる荻上の奇行の数々が説明できてしまうのがまたすごい。絶対にこれは現実世界で同じようなモデルが作者の側にいたのでしょう…というか、こういう腐女子いねーよと思ってるあなたは認識を改めた方がいい、腐女子のヤオイワールドにおいて「生モノ厳禁」となっている例は非常に多い……身近な異性をモデルにして同人、それもヤヲイを描くなんて事は男のオタならあまりしないというかほとんど聞いたこともないのですが、女のヲタの場合は往々にしてそういう妄想をしまくる傾向が非常に高く、そして当然ながらそれがご本人にばれたときの衝撃たるや想像を絶するわけでして。だからこそ、興味があってもソレはするな、あるいはその話題はするな、たとえるならばハリーポッターで口に出してはならない名前「ヴォルデモート」みたいな感じで、リアルで存在する友人・知人をモデルにした生モノヤオイは描くなっつーのが半ば常識化しているわけですが…ではなぜそれでもなお描いてしまうのかというと「やっちゃいけないことをするからこそ」ヤヲイなわけです。男同士のカラミなんてものは、現実だと言うまでもなく同性愛は禁忌、要するにタブー。それをあえて犯すからこそ面白いわけですが、そのやっちゃいけないことをやりたい衝動が根本的に腐女子の願望の根底に寝転がっているというのを男性オタ諸君は理解すべきであろう…。男の言う「萌え」にはあんまりタブー要素というのはないわけだけれども(重度ロリコン及び近親相姦及び超重度百合除く)、女の腐女子的ヤオイ要素は基本、タブーをあえてわかっているけれども破っていくと言うところに魅力があるわけで。男のオタと女のオタが似ているようで全然属性や嗜好が違っているケースがあるのは、この根本の相違にあるわけですよ。
振り返ってみて、げんしけんに出てくる主要オタ女である大野・荻上の両名を見ると、大野はまず基本がオヤジ属性というタブーを犯しまくる要素の中でもさらにマニアックでマイノリティでコアなところに最初いたのだ、という事実を見逃してはいけないわけで…(これを引きずり出したのは春日部さん)。コスプレ要素はまさに「それはそれ、これはこれ」というだけの話。荻上の場合は重度腐女子属性で「男の組み合わせを見るとすぐに受けか攻めかを分類して妄想開始」という一般的ライトパターンではあるけれども、先に見たような陰謀ではめられて好きな人を失ってしまったという過去が原因で強烈にねじくれてしまい、腐女子である自分も嫌いだし、同族嫌悪だし、それでも「なろうと思ってオタクになったわけではないから、やめようと思ってやめることもできない」という完全矛盾状態、二律背反、ダブルスタンダードな状態に転落。しかも中学生の多感な時期に友人グループから完全に裏切られるという強烈な体験から、げんしけんに来て強烈おせっかい腐女子の大野さん&コミュニケーション能力で言うと常人を上回る春日部さんの両名によって、なんとかその壁がやっとこさ多少は崩れていったという感じ…(コミケイベントもコスプレイベントも全部そのための伏線)。まったくもって、さすが鬱陶しい話を描かせたら右に出るモノは四季賞の頃からいなかった作者である木尾先生の面目躍如と言うか、この人は本来こういう話が大好きな人なのでしょうねぇ…修羅場とかそういうのがきっとすごく大好き。火曜サスペンス劇場とかワイドショーの愛憎事件とかノンフィクションの鬱ドキュメンタリーに心ときめく厄介なタイプが表現力と創作能力を兼ね備えるとこんなものを作ってしまうという例ですなー。
もちろん本スレにおいても、これまでげんしけんで見せてきた思わず「自分語り」をしてしまいそうになる強烈なエピソードと設定の数々で荒れまくったりしてきたわけですが、今回のは今まであえて外してきた作者の独壇場ジャンルをついにメインに持ってきたという感じ。今までの過去作品の流れから言って、そろそろグランドフィナーレが近づいているのでしょう…ただし、一端フィナーレを迎えさせておいて、もう一度揺り戻しをやって全部ぐっちゃぐちゃにするという超バッドエンドもコレで予想の範疇に入れるべきなのではないか、と。おそらくここまで来たからには編集の修正(読者がドン引きしないようにセーブさせる)なんてほとんど効果がないような。確実にノリノリで「よくもわるくも人の心をかき乱す」展開を心がけてくるのでしょう…今までも十分にそうだったのと同じように。これがエビフライの予想する将来の展開。
で、スレの中でもまっぷたつに別れているのが今回の話で、この過去の顛末を酒入った荻上から聞かされ、まさに藪をつついて蛇を出すどころか龍が出てきましたよ展開になったところで、この想像を絶する真実によってお節介な大野さんが、絶対に荻上は笹原によって幸せにしてもらわなくてはならない!と決意するラストシーン。単純に考えればこれは大野さんのお節介は全く効果がないんだよという伏線であろうと推測できるわけですが…(そうしないと笹原の出番が無くなってしまう)。ただ、既に荻上さんは自力でこの矛盾スパイラルから抜け出すことは既に不可能であり、だからこそ大野さんの「絶対に幸せにしてみせる」的発言も、真実の一面であるわけです。ある問題を解決しようとした場合に、ファンタジーとリアルの差は何かというと、ベストの解決法を提示してそれに沿ってスジを展開するのがファンタジーであり、ベターな解決法を選択することによって決してベストではないけれども落としどころを見付けるというスジがリアルな展開。大野さんの発言は極端なまでのファンタジー路線であり、おそらくこれに対応する路線を提示するのが大野さん以外のキャラの誰かになるのでしょう。笹原は展開する主体ではなく、あくまでも解決のためのキーでしかないわけで。その点で行くと今回は斑目もキーであるわけですね…なんといっても荻上は一度、笹原と斑目で生モノ同人スケッチを描いているので。極端な話、笹原と斑目の同人イラスト本を一冊完成させてそれを笹原が受け入れるのであれば問題ナッシングなわけですが、問題はこういう安直な落としどころに、今までこの作者は持っていったことがないという点。前作でもその前でもデビュー作でも、ハッピーエンドでもなくバッドエンドでもない、要するに「ゲームオーバー」な結末になっているわけで…(そこから先の展開が基本的に無理、救いがあるとかないとか以前に選択肢がもう内情対で終わる)。だから、げんしけんも、ゲームオーバーを感じさせるラストに、少なくとも笹原と荻上に関してはそういう点に収束するはず。コレの根拠は、既に作ったシナリオの上書きは絶対にしないという作者の一貫した主義があるため。ファンタジー路線のカップルがある意味、大野さんバカップルであり、一見するとファンタジーだけれども妙にリアルなのが春日部さんバカップル。そして荻上バカップルはこの前者2つとは違う結末を迎えるでしょう……。好きな人(オタ)が出来れば幸せになれるよ派が大野さん、好きだったら趣味(オタ)の違いも受け入れるよ派が春日部さん、そして好きで好きでどうしようもない(オタ)点まで含めて受け入れてくださいと言いたいけどそれを言うことは敗北なので言うに言えないよ助けてよでも助けて欲しくないんだよもう放っておいてよわかってよ派が荻上、と。この予想分類ではっきりしてくるのは、実は春日部さんはあんまりリアルではなく、ありえねーと思える荻上の方がはるかにリアルだという点。あらゆるものごとをすっぱりはっきり割り切っていくという点では、春日部さんと高坂は似たもの同士で、完全利害一致による幸せが田中と大野さん、というわけ。笹原と荻上はどちらもこれまた似ているわけで。笹原は最初、オタクだけれどそれを表に出せない、でも仲間は欲しかった、だからげんしけんに来た。荻上も仲間が欲しかったから漫研に行ったけどうまくいかず、げんしけんに引き取られ、壮大な拒絶と同族嫌悪の果てについに自分の過去話をするまでになった、と。荻上も笹原も自分の好きなものを好きと言えないという絶対的な共通項があるわけで。というか、げんしけんの根本的な流れがまさにその「好きと言えない」一点に集約されているわけですねん。第1話の入部エピソードしかり、それからあとの話しかり。そして現実を振り返ってみれば、好きなことを大声で正々堂々と真正面から「好き」と公言できる場合とそうでない場合があるわけで。春日部&高坂のペアは一番その点で行くと「ありえない」ことをしでかしているわけで。だからこそ、物語の節目節目で、無理矢理話の流れを進める役になれたわけですねん…。
さて…ここまでくだらんことを何をエビフライはダラダラと書いているのだと思われるかもしれないが、なぜエビフライが執拗なまでにげんしけんの感想でありがちな「自分語り」よりも「物語の構成と分析という視点での感想」に執着したかというと、エビフライ自身が創作系オタであるからですねん。ついでに、エビフライ自身、エビフライのリアル友人はみんな知っていますが「まるでげんしけんのようなクラブに在籍していた」という過去があるわけで。エビフライは二次創作の同人よりもむしろ一次創作の側に身を置く立場であったということもあり、作品の感想から主観的妄想をふくらませることよりも、話のプロットやどういう技術で読者のミスリードを誘っているのか、伏線をどう消化するつもりか、あるいは「昇華」するつもりなのか、キャラを立てるためにどういうことをしているのか…要するに「面白くするために何をしているか」を中心に読んでしまうわけです、ええ。エビフライがあまり自分のことを話さないよな~というのは、要するにそういうことです。自分のことを露出して、妄想を具現化する同人タイプではなくて、ねじりまくって変形させまくって妄想を昇華させる作家タイプだからですねん。しかも技巧に関しては無関心、ひたすらに自分の表現したいモノ、すなわち「物語全体としての壮絶さ」を優先するわけです…。つまり、オリジナリティに最大級の重点を置き、ストーリーはあらすじや予告編としてのおもしろさが最優先で、エンディングは必ずしも納得のいくものである必要性は皆無であるというスタンスです。「そんなむちゃくちゃなことがあるか!」と思われるかもしれませんが、往々にして面白いお話というのは何か一風変わった特徴があり、簡潔にそれが説明でき、さっくりとまとめて相手に話すとソレだけで相手の興味を引くようなモノであるわけで。アニメでも映画でもドラマでも一緒ですねん。特にこの一発芸みたいなのを重視する「SF」のジャンルがエビフライは大好きです、ニヤリ。虚構にリアルを与える裏付けとなるノンフィクションやドキュメンタリーも好きです。
だから、「げんしけん」は面白いよな~、と思った次第。来月のアフタヌーンが楽しみですねん。
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